加藤タキさんは国際的なショービジネス界におけるコーディネーターの草分け的存在で、オードリー・ヘプバーンとも家族ぐるみで長年交流を持っていたそうです。
80歳になられた今も精力的に活動されており、そんな加藤タキさんはこれまでどのように生きてきたのか、気になることを徹底調査しましたので、ぜひご覧ください。
加藤タキの若い頃
加藤タキさんは父が53歳、母が48歳のときの子供でした。
両親ともに社会運動家かつ国会議員であり、実家は裕福な家庭で、書生やお手伝いさん、乳母がいるような大邸宅で育っています。
引用:プロフィール|加藤タキ|TAKI KATOH official website
幼少期から母の活動に同行し、中学1年と3年のときには母の海外会議に付き添い渡米、ホームステイも経験しています。
森村学園(小・中・高)を卒業後、日本の大学に一旦進学しますが、英語を完全にマスターしたいとの思いからアメリカ・オレゴン州にある現在のポートランド大学へ留学し卒業しました。
帰国後は米国報道誌「ニューズウィーク」や「タイム・ライフ」の東京支局に勤務した後、語学力を生かしてモンキーズ初来日時の通訳や、音楽事務所役員などを経て1975年、30歳で独立。株式会社タキ・オフィスを設立しました。
引用:プロフィール|加藤タキ|TAKI KATOH official website
日本におけるショービジネス・コーディネーターの草分け的存在となり、オードリー・ヘップバーンやソフィア・ローレンら海外スターからも信頼される存在となりました。
フリーランスで働く女性が珍しい時代に、男性ばかりの現場で唯一の女性だったそうです。
当時は女性が独力で道を切り拓くのは大変だったとされていますが、加藤タキさんは「自分の力で生きていけるように」と幼い頃から両親に言い聞かせられてきた教育がありました。
20代で一度結婚・離婚を経験し、37歳で建築家の黒川雅之さんと再婚、42歳で長男(黒川彰さん)を出産しています。
引用:プロフィール|加藤タキ|TAKI KATOH official website
加藤タキさんの若い頃は、裕福な家庭環境と国際的な教育、社会運動家である両親の厳しさと愛情の中で育ち、現代にも通じる自立した女性の先駆例と言えます。
2017年 アンチエイジングネットワーク主催「第11回アンチエイジング大賞 特別賞」
2009年 日本アンチエイジング歯科学会「アンチエイジングアワード」
1998年 「感動文化賞 第9回ハーティーファミリー賞」(東京都中央区ウエルネス・コミュニティ協会)
『さだまさしが聞きたかった、「人生の達人」タキ姐のすべて』(さだまさし氏と共著)
『50歳からの自分磨き』
『加藤シヅエ凛として生きる』
『加藤シヅエ104歳の人生』
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プロフィール
名前:加藤 タキ(かとう たき)
生年月日:1945年3月30日
年齢:80歳(2025年時点)
出身地:東京都
○国際NGO認定NPO法人AAR Japan(難民を助ける会)副会長
○文化放送番組審議会副委員長

引用:プロフィール|加藤タキ|TAKI KATOH official website
○森村学園高等部卒業
○日本大学芸術学部造形科(中退)
○米国オレゴン州マルトノマJrカレッジ(現ポートランド大学)卒業
加藤タキの息子
加藤タキさんの息子である黒川彰さんは、建築家・デザイナー・コンサルタントとして東京を拠点に活動し、黒川翔アーキテクツ(SKa)を主宰しています。
慶應義塾大学SFCやスイスの大学院で建築を学び、インテリアや建築、プロダクトからグラフィック、展覧会、イベント、出版、教育、ブランディングまで幅広く行っています。
引用:黒川 彰(@kuro_sho)Threadsでもっと語ろう
2021年 株式会社 IEDIA 合流, 取締役
2021年 一般社団法人 ピアナリウム 設立
2019年~ 慶應義塾大学 環境情報学部 非常勤講師
2018年 一般社団法人 日瑞建築文化協会 (JSAA) 設立
2015年 Sho Kurokawa architects 株式会社 設立
2014年 Sho Kurokawa architects 設立
2014年 スイスイタリア語圏大学 メンドリジオ建築アカデミー 修了(スイス)
2012–2013年
オフィス・ケルステン・ゲールス・ダヴィド・ファン・セヴェレン勤務(ベルギー)
2009年 慶應義塾大学 環境情報学部 卒業
1987年 東京都生まれ
2020年 慶應義塾大学SFC|環境デザイン卒業設計賞|ゲスト審査員
2019年 東京工業大学|architecten de vylder vinck taillieu WS |ゲストクリティーク
2019年~ 慶應義塾大学SFC|スチューデントビルトキャンパス実践 (建築)|非常勤講師
2014年 天津デザインウィークWS|租界建築改修設計|中国|講師
2014年 Accademia di architettura & 東京工業大学|団地再生WS|スイス|アシスタント
黒川翔建築設計事務所株式会社:代表取締役
株式会社IEDIA:取締役チーフ・エクスペリエンス・オフィサー
一級建築士事務所 株式会社K&K:取締役(父・黒川雅之が設立)
一般社団法人日瑞建築文化協会(JSAA):理事
慶応義塾大学環境情報学部:非常勤講師
○「慶應義塾大学 SFC SBCプロジェクト」(2021年、新建築4月号掲載)
○東京・目黒の「AAR Office インテリア」リノベーション
○障がい者就労支援事業所「就労支援センター」(大船渡、2017年)
○レストラン「OND」(中目黒、2019)
企画や講演、展覧会、書籍など、建築を基盤に多領域での活動しており、「文化と哲学を対話で顕在化させ、体験へと翻訳する。そのデザイン価値が持続し、愛着が生まれる仕組みまで設計する」ことを重視しています。
コミュニティや企業、地域との協働、イベント・出版など多角的に活動しています。
作品や詳細なプロフィールは公式サイトやnote記事で公開されていますが、個人情報についてはプライバシーが守られているため顔写真もかなり少なく、私生活についてほぼ非公開です。
加藤タキの夫(旦那)
加藤タキさんの夫(旦那)は日本のデザイン界を代表する人物の一人である建築家の黒川雅之さんです。身内にも著名な建築家が多く、兄は黒川紀章、弟や息子も建築家として活躍しています。
1967年に黒川雅之建築設計事務所を設立。
建築設計にとどまらず、家具や照明、水栓金具、腕時計など幅広いプロダクトデザインを手がけ、その活動範囲は建築からインテリア、工業デザインへと及びます。
代表作「GOMシリーズ」は1979年にニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久コレクションに選出され、国際的な評価も非常に高く、他にもメトロポリタン美術館やデンバーアート美術館などに多数の作品が収蔵されています。
デザイナー支援活動として「物学研究会」を主宰し、ウェブサイト「デザイントープ」運営など、創作・情報・研究・製造・販売の場をリンクさせたKシステムを構築。
2007年に株式会社Kを設立、自らのデザイン作品の製造・販売にも取り組んでいます。
インテリアデザイン協会賞(1976年)、毎日デザイン賞(1986年)、グッドデザイン賞などを受賞し、復旦大学(中国)客員教授として海外でも教育に従事。
80代後半の現在も中国で建築やデザイン・講演等の活動を継続しており、非常に精力的なクリエイターとして知られています。
加藤タキの母
加藤タキの母は加藤シヅエさんで、解放運動家・社会活動家・国会議員(日本初の女性国会議員のひとり)として知られており、婦人解放と産児制限運動のパイオニアです。
裕福な実業家の家庭で育ち、17歳で男爵・石本恵吉と結婚、2児の母となります。
1919年に夫の勧めで渡米し、ニューヨークで秘書学を学ぶ。
留学中に産児制限運動家のマーガレット・サンガーと出会い、「女性が性をコントロールできなければ真の自由はない」と啓発される。
帰国後、日本産児調節婦人連盟を設立し会長に就任。母体保護、産児制限、女性の地位向上運動に日米・国際的に尽力します。
1933年に石本恵吉さんと離婚。
1944年に労働運動家の加藤勘十さんと再婚し、翌年48歳で長女・加藤タキを出産。
1946年、戦後初の衆議院議員選挙に出馬し当選、日本初期の女性議員のひとりとなり、その後参議院議員も務め、1974年まで政界で活躍しました。
引用:加藤シヅエさんの言葉・人となり | 国際協力NGOジョイセフ(JOICFP)
明治・大正・昭和・平成、4時代を生き抜き、104歳で亡くなるまで生涯現役で、勲一等瑞宝章、勲二等宝冠章など受章し、東京都名誉都民でもあります。
まとめ
この記事を読んでわかることをまとめました。
☑ 実家は裕福な家庭で、書生やお手伝いさん、乳母がいるような大邸宅で育つ。
☑ 37歳で建築家の黒川雅之と再婚、42歳で長男(黒川彰)を出産。
☑ 夫も息子もは建築家で夫は黒川雅之さん、息子は黒川彰さん。
☑ 母は加藤シヅエさんで、解放運動家・社会活動家・国会議員(日本初の女性国会議員のひとり)。婦人解放と産児制限運動のパイオニアと言われている。