映画「国宝」で話題!四代目中村鴈治郎とは?初代・二代目・三代目・妻・息子まで徹底調査!

中村鴈治郎アイキャッチ トレンド

現在映画「国宝」が大ヒットしていますが、その映画で歌舞伎の演技指導を行ったのが四代目中村鴈治郎さんです。
四代目中村鴈治郎さんは「歌舞伎のシーンは、自分が全責任を持つ」と意気込みを語り、現場で俳優たちに寄り添いながら一つ一つの所作や表現を丁寧に指導しました。

吉沢亮さんや横浜流星さんは歌舞伎未経験でしたが、撮影前から稽古を重ね、李相日監督は「鴈治郎さんが吉沢さんや横浜さんを夢中にさせていた」と話しています。
演技指導だけでなく劇中では歌舞伎役者・吾妻千五郎役として出演し、作品のリアリティと重厚感を支えた四代目中村鴈治郎さんについて気になることを調べてみました!

映画「国宝」が大ヒット!

映画「国宝」とは、芥川賞作家・吉田修一の同名小説を原作に、2025年6月6日に公開された壮大な人間ドラマです。
主演は吉沢亮、共演に横浜流星高畑充希寺島しのぶ渡辺謙永瀬正敏ら日本映画界を代表する俳優陣が名を連ねています。

 
 
 
 
 
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監督:李相日(『悪人』『怒り』『フラガール』)
脚本:奥寺佐渡子(『サマーウォーズ』『八日目の蝉』)
撮影:ソフィアン・エル=ファーニ(『アデル、ブルーは熱い色』)
美術:種田陽平(『キル・ビル』)
制作:CREDEUS(『キングダム』シリーズ、『ゴールデンカムイ』シリーズ)

歌舞伎の世界を圧倒的なスケールとリアリティで描写した作品。
主演の吉沢亮は1年半にわたり歌舞伎の稽古を積み、リアルな役作りに挑戦しています。

全国各地の現役芝居小屋や文化財級の劇場でロケが行われ、伝統芸能の美しさを映像で堪能できる点も高く評価されています。

上映時間は175分(2時間55分)と長編ながら、「全く退屈しなかった」「圧巻の演技」「あまりの美しさに涙が出てくる」と観客・批評家から高い評価を受けています。
2025年・第78回カンヌ国際映画祭の監督週間部門にも出品され、国際的な注目も集めました。

四代目中村鴈治郎とは?

四代目中村鴈治郎(よだいめ なかむら がんじろう)は、1959年2月6日生まれの日本を代表する歌舞伎役者・俳優です。慶應義塾大学法学部卒業。
屋号は成駒家、定紋はイ菱。現代上方歌舞伎の中核を担う名跡「中村鴈治郎」の当代です。

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引用:歌舞伎 中村鴈治郎さん – 日本経済新聞

父:四代目坂田藤十郎(人間国宝、上方歌舞伎の巨星)
母:扇千景(元宝塚歌劇団・元参議院議長)
弟:三代目中村扇雀
妻:二代目吾妻徳彌(日本舞踊吾妻流六代目家元)
叔母:中村玉緒

1967年11月、歌舞伎座『紅梅曾我』の一萬丸で中村智太郎を名乗り初舞台。
1995年1月、大阪・中座『封印切』の忠兵衛ほかで五代目中村翫雀を襲名。
2015年1月、大阪松竹座『廓文章』の伊左衛門ほかで四代目中村鴈治郎を襲名。

上方歌舞伎の伝統を守りつつ、幅広い役柄に挑戦する柔軟な芸域が特徴。
『吉田屋』の伊左衛門、『河庄』の治兵衛、『封印切』の忠兵衛など、和事(やわらぎごと)の名作で高い評価を受ける。
年齢とともに風格を増しつつも、親しみやすい愛嬌が舞台の魅力となっている。
松竹新喜劇の作品を歌舞伎に移し替えるなど、上方人情芝居の新たなレパートリー開拓も意欲的に行っています。国内外の歌舞伎公演にも積極的に参加し、伝統芸能の発信に尽力しています。

1983年:重要無形文化財(総合認定)
2006年:日本芸術院賞
2011年:松尾芸能賞優秀賞
2015年:京都府文化賞功労賞
2018年:ロシア連邦文化省文化功労賞
2019年:紫綬褒章

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映画「国宝」で四代目中村鴈治郎が演技指導


映画「国宝」では、四代目中村鴈治郎が歌舞伎の演技指導を担当しています。
主演の吉沢亮さんや横浜流星さんら主要キャストに対し、歌舞伎の所作や舞台での立ち居振る舞い、女形としての表現など、実際の歌舞伎俳優としての豊富な経験をもとに細やかな指導を行いました。

また、鴈治郎さん自身も映画に出演しており、森七菜さん演じる彰子の父であり歌舞伎役者・吾妻千五郎役を務めています。映画の歌舞伎シーンについて「自分が全責任を持つ」と語り、リアリティと説得力を追求した演出に大きく貢献しました。

さらに、原作者の吉田修一さんが小説「国宝」を執筆する際にも、鴈治郎は取材協力を行い、歌舞伎の現場や裏方の経験を提供しています。このように、映画「国宝」における歌舞伎の演技指導は四代目中村鴈治郎が中心となって行われ、作品の芸術的完成度を高める重要な役割を果たしました。

初代中村鴈治郎とは

初代中村鴈治郎は、1860年(安政7年)3月6日生まれ、1935年(昭和10年)2月1日没の上方歌舞伎を代表する名優です。
屋号は成駒屋、定紋はイ菱。本名は林玉太郎(はやし たまたろう)です。


引用:中村鴈治郎 (初代) – Wikipedia

父は三世中村翫雀、母は大阪新町の揚屋「扇屋」の一人娘で、幼少期に家が没落し、母とともに苦労を重ねた。

1874年(明治7年)名優・初代實川延若に弟子入りし、實川鴈二郎(のち鴈次郎、鴈治郎)を名乗る。
1875年(明治8年)道頓堀筑後の芝居で初舞台。
1878年(明治11年)翫雀の後継者となり「中村鴈治郎」を襲名。翌年には座頭を務める。

明治後半から大正・昭和初期にかけて大阪随一の花形役者となり、上方歌舞伎の大看板として活躍した。
上方和事(柔和な二枚目役)を代表芸とし、風格ある時代物の立役や新作にも独自の鴈治郎風を見せた。
師である中村宗十郎・初代實川延若の長所を融合し、上方歌舞伎の芸を完成させた。
明治19年(1886年)には大阪演劇改良会を組織し、演劇改良運動にも尽力。
「雛人形のモデル」となり、「城と御興とガンジロはん」と並び称されるほどの人気を誇った。
子供の戯れ歌にも「わたしはこのごろ出世して、大金持ちに成駒屋」と歌われるほど、大阪の象徴的存在だった。

東京では九代目市川團十郎、五代目尾上菊五郎、初代市川左團次(いわゆる「團菊左」)と並ぶ名優と共演するなど、全国的にも高い評価を受けていました。
上方歌舞伎の伝統を現代まで伝える礎を築き、「大阪の顔」として親しまれた。

二代目中村鴈治郎とは

二代目中村鴈治郎は、1902年(明治35年)2月17日生まれ、1983年(昭和58年)4月13日没の上方歌舞伎を代表する名優です。
屋号は成駒屋、定紋はイ菱。本名は林好雄(はやし よしお)、日本芸術院会員であり、重要無形文化財保持者(人間国宝)。

二代目中村鴈治郎
引用:二代目・中村鴈治郎(1902~1983) : 著名人の墓巡り~昭和の偉人と出会う旅~

大阪生まれで初代中村鴈治郎の次男として誕生しました。

1906年(明治39年)、京都南座『太平記忠臣講釈』の太市で本名で初舞台。
1909年(明治42年)、初代中村扇雀に改名。

少年時代から青年劇の座頭として活躍し、1924年(大正13年)に大歌舞伎に復帰。
主に女形を務め、父や二代目實川延若、十二代目片岡仁左衛門らのもとで修行を積む。

1941年(昭和16年)、四代目中村翫雀を襲名。
1947年(昭和22年)、父の十三回忌を機に二代目中村鴈治郎を襲名し、大阪歌舞伎座『天網島』の紙屋治兵衛などを演じた。

立役から女形まで幅広い芸域を誇り、特に父譲りの二枚目役で本領を発揮。
若い頃は「お父っつぁんそっくり」といわれる熱演で人気を集めたが、劇評家・武智鉄二の「親父の真似ではだめだ、自分の芸を創れ」との批評を受け、内面的な演技へと転換。初代があまり演じなかった女形にも挑戦し、個性と実力を発揮した。

戦後はリアリズムを追求し、写実的な演技を志向。映画出演も多く、舞台と映像両方で名演を残した。

1952年(昭和27年)、宇野信夫脚本による近松門左衛門『曾根崎心中』を復活上演し、生涯の当たり役となる。
1955年(昭和30年)、松竹を離脱し映画界へ進出。映画でも名演を残した後、歌舞伎に復帰し、より自然で大きな芸を見せた。

三代目中村鴈治郎とは

三代目中村鴈治郎は、1931年に二代目中村鴈治郎の長男として生まれ、2020年に没した上方歌舞伎を代表する名優です。本名は林 寿一(はやし ひさかず)。屋号は成駒屋、定紋はイ菱。

1943年:二代目中村扇雀を襲名
1990年:三代目中村鴈治郎を襲名
2005年:四代目坂田藤十郎(さかた とうじゅうろう)を襲名(山城屋)
※坂田藤十郎は三代目の死去後は長く襲名者が現れず、伝説的な名跡となっていましたが、231年ぶりに四代目を襲名し話題となりました。

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引用:坂田藤十郎さん 人間国宝の歌舞伎俳優 – イザ!

幼少より歌舞伎の世界で育ち、戦後の上方歌舞伎の復興に尽力。
二代目中村扇雀時代から、立役・女形の両方で幅広い役柄を演じ、特に近松門左衛門作品の名演で知られる。1990年に三代目中村鴈治郎を襲名し、上方歌舞伎の伝統を現代に伝えた。

2005年には坂田藤十郎を襲名し、江戸歌舞伎の名跡も継承した。

上方歌舞伎の大名跡を継承し、関西歌舞伎界の象徴的存在として活躍。
伝統を守りつつも新作や現代劇にも意欲的に挑戦し、歌舞伎の発展に貢献。
国内外の歌舞伎公演にも積極的に参加し、国際的にも高い評価を得た。

は女性初の参議院議長、女性初の旭日大綬章・桐花大綬章受章者でもあり、元タカラジェンヌでもある扇千景さん。

四代目中村鴈治郎の妻は誰?

四代目中村鴈治郎自身の妻は日本舞踊吾妻流の家元である二代目吾妻徳穂(あずま とくほ)さんです。azuma-tokuho
引用:中村壱太郎 Official Website

吾妻徳穂さんは、東京都出身で、幼少期から日本舞踊の道を歩み、11歳で「吾妻徳彌」を襲名し、1978年に六代目吾妻流家元に就任しました。その後、2014年に「二代目吾妻徳穂」を襲名し、日本舞踊吾妻流三世宗家となっています。日本舞踊界の第一人者といえる方です。

1988年に四代目中村鴈治郎(当時・中村智太郎)と結婚し、1990年に長男・壱太郎さんを出産しました。

四代目中村鴈治郎の息子は?

四代目中村鴈治郎の息子は1990年8月3日生まれの中村壱太郎(なかむら かずたろう)です。

幼少期から歌舞伎の舞台に立ち、4歳で初代中村壱太郎を襲名し初舞台。
慶應義塾大学総合政策学部卒業。
歌舞伎俳優として、上方歌舞伎の伝統を受け継ぎつつ、現代的な感覚も取り入れた幅広い舞台活動を展開している。また、日本舞踊吾妻流の名跡「吾妻徳陽」も継いでいる。

若手ながら女方(おんながた)を中心に、古典から新作まで多彩な役柄を演じる。
歌舞伎だけでなく、現代演劇やメディア出演など多方面で活躍し、伝統と革新の両立を目指している。

叔父には三代目中村扇雀、従弟には中村虎之介がいる。
中村壱太郎は、成駒家の後継者として伝統芸能の未来を担う存在です。

まとめ

家系図
引用:坂田藤十郎さん家系図 – スポニチ Sponichi Annex 芸能

スポニチさんの家系図がわかりやすすぎてお借りしました。

四代目中村鴈治郎は、上方歌舞伎の伝統を現代に受け継ぎつつ、幅広い役どころと柔軟な芸風で多くの観客を魅了し続ける名優です。家族も歌舞伎・舞踊界の著名人が多く、成駒家の当主として歌舞伎界を牽引しています。

初代中村鴈治郎は、明治・大正・昭和初期を通じて上方歌舞伎の発展と芸の継承に大きく貢献した名優です。柔和で華やかな芸風と時代を代表する人気で、今なお歌舞伎史にその名を刻んでいます

二代目中村鴈治郎は、上方歌舞伎の伝統を受け継ぎつつ、立役・女形の両方で卓越した芸を発揮し、リアリズムを追求した名優です。父・初代鴈治郎の影響と重圧の中で自らの芸を確立し、戦後の上方歌舞伎を支え続けました。

三代目中村鴈治郎は、戦後の上方歌舞伎を支え、伝統と革新の両面から歌舞伎界を牽引した名優で、晩年は坂田藤十郎としても活躍し、成駒屋・山城屋両家の芸を現代に伝えました。

四代目中村鴈治郎の妻は二代目吾妻徳穂さんです。
日本舞踊吾妻流の家元であり、歌舞伎界・日本舞踊界の両方で高い評価を受けている人物で、成駒家の後継者として伝統芸能の未来を担う存在である、中村壱太郎さんの母です。

これからも歌舞伎界・日本舞踊界の発展を心よりお祈り申し上げます。

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