絹谷幸二の娘は絹谷香菜子!息子は絹谷幸太!家族構成や実家についても徹底調査!

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1943年生まれの絹谷幸二(きぬたにこうじ)さんは日本を代表する洋画家です。
テレビ朝日「プラチナファミリー」に出演し、「本物の華麗なる一族!」と話題になりました。
78歳で文化勲章を受勲し、82歳になった現在(2025年)でも、ウクライナの戦争や新型コロナなどをテーマに精力的に創作活動を続けながら、子どもの絵の審査員や講演活動に飛び回る多忙な日々を送っている絹谷幸二さん。
そんな絹谷幸二さんの娘や息子、家族構成など気になることを調べてみました。

日本を代表する画家 絹谷幸二とは?

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引用:KojiKinutani 絹谷幸二 Instagram

絹谷幸二さんは1943年1月24日奈良県奈良市元林院町に生まれました。
幼少期から美術に親しみ、小学校1年生の頃から油絵を習い始めます。
奈良県立奈良高等学校を卒業後、東京芸術大学美術学部油絵専攻(小磯良平教室)に進学し、卒業制作で大橋賞を受賞しています。

大学卒業後は東京芸術大学大学院で壁画(アフレスコ古典画)の研究に取り組み、1971年にはイタリア・ヴェネツィアに留学して本格的にアフレスコ技法(漆喰に描く古典的な絵画技法)を研究。
帰国後の1974年に「アンセルモ氏の肖像」で若手画家の登竜門である安井賞を史上最年少の31歳で受賞します。
その後もメキシコ留学などを経て、1993年には東京芸術大学教授に就任、大阪芸術大学教授、日本芸術院会員などを歴任し、後進の育成にも力を注いでいます。
2009年には毎日新聞社主催で「絹谷幸二賞」を創設し、現在では若手の登竜門となっています。

また、奈良の自然や歴史、イタリアでの経験が作風に大きな影響を与えており、鮮やかな色彩とダイナミックな表現を特徴とし、日本の洋画界に新風を吹き込んできました。
2021年には文化勲章を受章するなど、日本の美術界を代表する存在として活躍を続けています。

芸術家はその時代の中で作品によってメッセージを発信していくべきだと考える絹谷幸二さんは政治的な場でも積極的に講演や発言を行い、政治家から経済人まで多彩な人脈を築き上げてきました。特に安倍晋三元総理大臣と親交が深かったことは有名です。

絹谷幸二の華麗なる家族構成

絹谷幸二さんは2023年に「第16回ベスト・ファーザー賞 in 関西」を受賞しています。
プライベートではどんな父親なんでしょうか。華麗なる一族を早速見てみましょう。

絹谷幸二の娘は画家・絹谷香菜子!

絹谷幸二さんの娘は日本画家の絹谷香菜子(きぬたにかなこ)さんです。
日本画の伝統的な技法を用いながらも、自由な発想と現代的な感性で独自の画風を築いています。
動物をモチーフにした作品が多く、動物たちの瞳の中に花などのモチーフを描き込むなど、細部までこだわった繊細な表現が特徴です。伝統的な日本画の技法を基礎にしつつも、自由な発想で現代的なテーマや色彩を取り入れています。

私の中では絹谷香菜子さんといえばこの作品なんですが、見たことがある人も多いのではないでしょうか。

父・絹谷幸二さんからは「自分の個性を出せ、人と同じことをするな」と教えられ、常に自由にやらせてくれたそうです。
自身も子どもたちに絵画を教えており、父から学んだことを次世代に伝えていきたいと話されていました。

父や兄とともに芸術一家として活動し、2025年には父・絹谷幸二、兄・絹谷幸太(彫刻家)とともに「絹谷幸二親子三人展」を鹿児島市立美術館で開催するなど、親子での共同展覧会も行っており、高い評価を得ています。

1985年生まれの絹谷香菜子さんは、プライベートでは2015年秋に結婚し、結婚を機に福岡市で暮らすようになったそうです。
夫の氏名や職業などの詳細な情報は公開されていませんが、お子さんがいることも報じられており、少なくとも現在は1児の母です。

絹谷幸二の息子は彫刻家・絹谷幸太!

絹谷幸二さんの息子は絹谷幸太(きぬたにこうた)さんです。
絹谷幸太さんは日本を代表する現代彫刻家の一人であり、特に石を素材とした彫刻作品で国際的に活躍しています。

東京芸術大学で彫刻の博士号を取得後、ブラジルに留学しサンパウロ大学大学院を修了。
名古屋大学、名古屋芸術大学、大阪芸術大学で教鞭をとりながら、日本とブラジルで石を用いた彫刻の制作活動を続けています。
ブラジル日本移民100周年記念モニュメントや、ベトナム・ダナン市のAPEC記念公園のモニュメントなどで大規模なパブリックアートを手がけ、世界で活躍しています。

「人生は芸術で、芸術は人生だ」と父から繰り返し教えられ、自由な発想と個性を大切にするようにと言われてきたそうです。
高校3年生の時、父の勧めで彫刻家・柳原義達の展覧会を訪れたことがきっかけで彫刻の道に進みました。もともとはゴルフ部でプロゴルファーを目指していたそうですが、芸術の道に転向しています。

絹谷幸太さんは「石は生きている」と語り、石そのものの歴史や個性に深く向き合いながら制作します。
作品の主体は「自分ではなく石」であり、素材との対話を重視する「創知彫刻」をテーマに活動しており、石に鑿(のみ)を当て、常に石と会話しながら作品を作るのが特徴です。

彼の彫刻は、来場者が実際に触れて鑑賞できることも大きな特徴で、石の磨き方の違いによる触感の変化も楽しめます。

これまでに池田20世紀美術館で「絹谷幸太・香菜子 二人展 万物の鼓動」を開催したり、作品集『絹谷幸太作品集 KOTA KINUTANI』を刊行しています。

絹谷幸二の子供は2男2女の4人!

絹谷幸二さんの家族構成は、4人の子ども(2男2女)です。
長男の絹谷幸太さん(彫刻家)は1973年生まれ、次女の絹谷香菜子(日本画家)さんは1985年生まれです。
ほかの2人の子どもは銀行員の道を選んでいるようです。

絹谷幸二の妻は大井宏美!【出会い~結婚まで】

絹谷幸二さん・宏美さん夫妻
引用:【朝めし自慢】絹谷幸二(洋画家・79歳)|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

絹谷幸二さんは1971年3月に大井宏美さんと結婚しました。
詳細な経歴については公的な情報が見当たりませんでしたが、妻・宏美さんは絹谷幸二さんの10歳年下で、絹谷幸二さんが東京芸大の副手になった1968年秋に出会ったそうです。
当時美大を目指している高校生だった妻・宏美さんは、東横美術研究所の生徒で、絹谷幸二さんも出品していたグループ展を見に来たのが出会いだそうです。

絹谷幸二さんは妻・宏美さんににプロポーズした際、自分以外の画家の絵を好きにならないでほしいとお願いしたそうで、今でも妻・宏美さんは現役画家の展覧会には一切足を運ばないとのこと。
本当に素敵なお二人ですね。

妻・宏美さんの卒業式の翌日に教会で式を挙げ、翌朝、留学先のイタリアへと旅立ったそうです。

絹谷幸二の実家もすごいって本当?

絹谷幸二さんの実家は、奈良市元林院町にある老舗料亭明秀館(めいしゅうかん)です。
明治時代半ばに曽祖父が創業し、現在も親戚が料理屋として営んでいます。
この「明秀館」は、興福寺のすぐそば、猿沢池の辺りに位置し、築300年以上の歴史的な建物で、母屋には正徳2年(1712年)の棟札が見つかっています。

「明秀館」はかつて政財界の大立者や文化人が集うサロンのような場所であり、初代総理大臣・伊藤博文や、白樺派の作家・志賀直哉、東大寺の僧侶など、多くの著名人が訪れていました。
特に志賀直哉は、明秀館の本家である置屋「萬玉楼」にもよく出入りし、麻雀を楽しんだという逸話が残っています。曽祖父は商才に長け、美術品のコレクターとしても知られており、絹谷幸二さんは幼少期から古美術品に囲まれて育ちました。

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また、絹谷幸二さん自身のアトリエもこの「明秀館」にあり、彼の創作活動の拠点となっています。
周囲は国宝級の建造物や自然に恵まれ、幼いころから本物の芸術や歴史に触れる環境で過ごしたことが、彼の芸術観や作風に大きな影響を与えているようです。

まとめ

絹谷幸二さんは日本を代表する洋画家で、東京芸術大学大学院を卒業し、イタリア、メキシコに留学し創作活動を行ってきました。
東京芸術大学教授、大阪芸術大学教授、日本芸術院会員などを歴任し、78歳で文化勲章を受章、82歳になった現在(2025年)でも、精力的に創作活動を続けながら、子どもの絵の審査員や講演活動に世界中を飛び回っています。

華麗なる一族で有名で、長男は彫刻家・絹谷幸太さん、次女は日本画家・絹谷香菜子さんで、それぞれ日本を代表する芸術家です。奥様は大井宏美さんで、絹谷幸二さんをずっと支えてきました。子供はもう二人いて、銀行員になっているようです。

また、絹谷幸二さんの実家は奈良市元林院町にある老舗料亭「明秀館」で、政財界の大立者や文化人が集うサロンのような場所で、現在も自身のアトリエがそこにあります。

これからも絹谷一族の活躍が楽しみですね。

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