「柔道人生は一本釣りの漁師のように」と自身のルーツを語る泉浩さん。
2004年アテネオリンピック柔道男子90kg級で銀メダルを獲得した後、多彩な道を歩みながら現在は指導者として世界で活躍中です。
そんな泉浩さんの現在や気になることを徹底調査してみましたので、ぜひご覧ください。
【泉浩の現在】エジプト柔道代表チームの監督!
泉浩さんは現在、エジプト柔道代表チームの監督(ヘッドコーチ)として活動しています。
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柔道界を引退後、一時は総合格闘家としてデビューしたり、ロンドン五輪のレスリング代表を目指していましたが夢叶わず。
その後、鮮魚卸売会社の社員として大田市場で働くかたわら、実業団柔道部の監督を務め、NPO法人ヴィレッジ・スポーツ副理事長として柔道教室、子供柔道教室、教員向け柔道教室、警察署で柔道の指導、柔道の指導者派遣、講演活動などを行っていました。
2024年4月よりエジプト柔道代表監督に就任し、2028年ロサンゼルス五輪を見据えた長期契約で現地で指導を行っています。
就任直後、アフリカ柔道選手権(2024年カイロ)で、エジプトがメダル8個(金3、銀2、銅3)を獲得し、初の総合優勝という快挙を達成しました。
パリ五輪に向けた選考ポイントも確保し、国際的な成果を出しつつチームの底上げに成功しています。
引用:躍進続くエジプト柔道 アフリカ選手権で優勝 日本人の指導 – 産経ニュース
オフィシャルブログ「泉浩 Powered by Ameba」では近況を報告しており、各種テレビ番組(「有吉ゼミ」・「踊る!さんま御殿!!」など)への出演など、メディア活動も行っています。
引用:踊る!さんま御殿!! | 泉浩オフィシャルブログ Powered by Ameba
泉浩さんは現在、自らの五輪経験と指導実績を活かし、エジプト柔道界の国際競争力向上に尽力しています。
泉浩のプロフィール
泉浩さんのプロフィールを見てみましょう。
生年月日:1982年6月22日
年齢:43歳(2025年現在)
出身:青森県下北郡大間町出身
身長:173cm
体重:約93kg

引用:泉浩オフィシャルブログ Powered by Ameba 柔道六段。組み手は左組みで、得意技は大外刈り。90kg級トップ選手として若手時代からタイトルを積み重ね、アテネ五輪銀メダルや世界選手権優勝を果たした名選手。
泉浩の柔道経歴
9人兄弟の四男で、体が弱く泣き虫だった少年時代に兄の影響で小学生だった9歳頃から柔道を始めた。
中学からは柔道私塾「講道学舎」に単身で入門し、世田谷区立弦巻中学校、世田谷学園高校(東海大三高校)で修業。高校3年でインターハイ優勝。
明治大学に進学し、2001年・2002年の全日本学生柔道体重別選手権90kg級連覇、2002年ベルギー国際大会優勝、2003年全日本選抜体重別優勝、講道館杯優勝、大邱ユニバーシアード優勝など国内外で多くのタイトルを獲得。
2004年アテネオリンピック男子90kg級に日本代表として出場し、銀メダルを獲得。
引用:オリンピック:泉浩さん「指導者でもメダル」: 読売新聞
2005年、旭化成入社。同年カイロ世界柔道選手権男子90kg級で優勝。韓国の選手から反則勝ちで決勝を制した。
2008年北京オリンピック代表。減量に失敗し2回戦敗退。
2009年に柔道引退を表明し、総合格闘技に転向。プロMMAデビュー、複数の勝利を重ねた。
2014年に柔道・総合格闘技の現役を引退後は、実業団柔道部の監督や講演活動、解説者、テレビ出演など柔道普及活動に従事。
2024年からはエジプト柔道代表コーチとして国際指導者の道を歩む。
【泉浩の現在】結婚して妻は女優!
泉浩さんは2014年2月22日に女優の末永遥さんと結婚しました。
「2」が並ぶ大安の日である2月22日に婚姻届を提出しています。
引用:末永遥オフィシャルブログ「末永遥のHappy-go-luckyなHR」by Ameba
2人は共通の友人の紹介で知り合い、約3年半の交際を経て結婚に至りました。
結婚後もお互いの仕事を続けながら、テレビ共演やSNSでも夫婦仲の良さが度々話題となっています。
お二人の間には長男が2017年12月3日、長女が2022年11月11日に誕生しています。
引用:末永遥オフィシャルブログ「末永遥のHappy-go-luckyなHR」by Ameba
泉浩さんと末永遥さんは「美女と野獣カップル」とも呼ばれ、円満な家庭を築いています。
泉浩の妻・末永遥のプロフィール
泉浩さんの妻・末永遥さんのプロフィールをご紹介します。
生年月日:1986年7月22日
年齢:39歳(2025年時点)
出身地:神奈川県
身長:162cm
血液型:A型
所属事務所:ヴィレッジエンターテインメント
趣味:料理・映画鑑賞・サーフィン
資格:普通免許・日商簿記2級
5歳で芸能界入りし、雑誌モデルやCM子役を経験。
NHK連続テレビ小説『かりん』(1994年)で女優デビュー。
テレビ東京『おはスタ』(1998~2000、2020復帰)出演。
※少女誌『ピチレモン』専属モデル
【主な出演作】
●『氷点2001』(テレビ朝日)
●『轟轟戦隊ボウケンジャー』(ボウケンピンク/西堀さくら役)
●『ライフ~壮絶なイジメと闘う少女の物語~』(岩本みどり役)
※いじめ加害者役で「おめーの席ねぇから!」のセリフが話題に。
●『デイジー・ラック』(NHK) ほか
泉浩は大間出身で父はマグロ漁師!
泉浩さんの父親は泉 忠志(いずみ ただし)さんで、青森県下北郡大間町で有名なマグロ漁師でした。
マグロの一本釣りが盛んな「大間町」の漁師であり、家族経営の漁業に従事してきました。
「大間の男たるもの漁師」という信念を持ち、生まれた男の子は漁師にすると決めていたほどの筋金入り。
家族は9人兄妹の大家族(浩さんは四男)で、漁師一家として地域でも知られる存在でした。
津軽海峡の荒波にもまれるなか、イカやマグロ漁で家族を養っていました。
最高で200kgを超えるマグロを釣り上げた経験も持ち、大間の漁師仲間の間でも「大物狙いの名手」として長年知られていました。
大変厳しい人物で、息子の泉浩さんにも柔道ではなく漁師の道を望んでいましたが、最終的にはその厳しさと愛情が浩さんの大きな成長につながっています。
小学校卒業時、泉浩さんに「柔道か漁師かはっきり決めろ!」と迫り、「10年で結果が出なければ漁師を継ぐ」という約束をさせたことで有名です。
厳格ながらも家族の絆は強く、泉浩さんがアテネ五輪で銀メダルを獲得した際も父親の影響が大きかったと話しています。
泉忠志さんは72歳で亡くなっています。
「大間マグロ」の知名度やブランド力向上にも間接的に寄与していると評価される、町を代表する漁師でした。
泉浩さんは引退後、父の影響で水産業に身を置いていた時期もありました。
泉浩さんの不屈の精神や体力、地元愛は、漁船で鍛えられた父・忠志さんの厳しい教えが原点とされています。
まとめ
この記事で泉浩さんについてわかることをまとめました。
●泉浩は2004年アテネオリンピック男子90kg級に日本代表として出場し、銀メダルを獲得。
●泉浩は2014年に結婚し、妻は女優の末永遥。現在は二児の父親。
●泉浩さんの父親は、青森県下北郡大間町で有名なマグロ漁師。
●泉浩さんは引退後、父親の影響で鮮魚卸売会社の社員として一時大田市場で働いていた。
泉浩さんが現在、エジプト柔道代表チームの監督に就任していたことは私も知りませんでした。
すでに結果も出しているようですが、これからの活躍がますます楽しみですね!