小田凱人(ときと)さんが生涯グランドスラム達成し、話題となっています。
日本テニス界のレジェンド・国枝慎吾さんに続き、車いす男子シングルスで生涯ゴールデンスラムを史上初めて10代の若さで達成したアスリートとなりました。
そんな小田凱人さんについて気になることをまとめましたので、ぜひご覧ください。
小田凱人(ときと)は立てるし歩ける!
小田凱人さんが「立てる」「歩ける」というのは事実であり、日常的には車いすを使用していますが、短い距離なら杖を使って歩くことができます。
小田凱人は小児の骨肉腫という病気により、左足に人工関節を装着しています。
手術による後遺症で自由に走ったり長距離歩いたりすることはできなくなりましたが、短い距離なら杖を使いながら歩いたり、立つことが可能です。
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左腹部の筋肉移植やリハビリの努力により、室内や近距離の移動では「立つ・歩く」ことができるようになりました。
筋力低下を防ぐため、生活の幅を広げるために、リハビリに励み、日常でもなるべく立つこと、歩くことを意識しているそうです。しかし、長い距離の移動や激しい運動は困難なので、大半は車いすを使用しています。
小田凱人(ときと)を襲った病気とは?
小田凱人さんは、病気になる前は足の速さが自慢で、幼少期から本格的にサッカーをしており、プロ選手になることを夢見ていたそうです。
しかし、9歳のときに利き足である左脚に激痛が走り、骨の悪性腫瘍である骨肉腫が見つかりました。つらい抗がん剤治療を経て、股関節と大腿骨の一部を切除し人工関節を入れる大手術を受けています。「もう走れなくなる」と医師に告げられ、手術の後遺症で左脚の自由を失いました。
骨肉腫は、がん細胞が骨組織内で異常増殖することで発症する稀な悪性腫瘍で、10代の成長期に多く発症し、男女比ではやや男性が多い。
主な症状は病変部の痛みで、スポーツによるケガなどと間違えられやすい。
主治医の先生から「車いすに乗る人だけができるスポーツがあって、パラリンピックという世界大会がある。」と教えてもらい、初めてパラスポーツのことを知りました。そこからYouTubeでいろんなパラスポーツの動画を見て、直感でビビッときたのが車いすテニスだったそうで、『これがやりたい』と明確に思ったそうです。
小田凱人のプロフィール
小田凱人さんは、世界トップレベルで活躍する日本の車いすテニス選手です。
生年月日:2006年5月8日
出身地:愛知県一宮市
性 別:男性
競 技:車いすテニス
所 属:東海理化
小田凱人さんが「ロールモデル」に挙げるのが、キックボクシング界で「神童」と呼ばれ、プロボクシングに転向した那須川天心さんです。
小田凱人さんは車いすテニスを通じて子どもたちのヒーロー的存在になることを夢のひとつに掲げており、「でっかいこと言って、でっかいことをする。それが俺の美学」と話しています。
引用:那須川天心と小田凱人 高校生でトップになった2人が共鳴する生き方 – パリパラリンピック:朝日新聞
小田凱人(ときと)の家族は?
小田凱人さんの家族は、父親・母親・姉・本人・弟の5人家族です。
父親:名前や職業は非公表ですが、スポーツ好きでテニスの練習に毎日付き合ったり、ギターが趣味。 小田選手がラケットでギターパフォーマンスをするのは、父親の影響とされています。
母親:直子さん。 病気で苦しむ小田選手を精神的に支え続け、読売テレビインタビューなどにも出演。 穏やかで献身的な母親で、息子の闘病時に「楽しみを増やしてあげることしかできなかった」と語っています。
姉:詳細は非公表ですが、年長のきょうだいがひとりいることが報道されています。
弟:桃次郎さん(4歳下)。兄弟愛が強く、弟とは特に仲が良いようです。
父母ともに、小田凱人さんが車いす生活になった後も、毎日テニスの練習や精神的な支援を惜しまず、彼の夢と競技人生を全面的にサポートしています。幼少期から家族の絆が強く、両親・きょうだいによる惜しみない愛情と献身的なサポートが小田凱人さんの成功を支えています。
【経歴】小田凱人(ときと)の高校は?
小田凱人さんが通った学校は、以下のとおりです。
小学校:一宮市立瀬部小学校(愛知県一宮市)
中学校:一宮市立西成中学校(愛知県一宮市)
高 校:N高等学校(角川ドワンゴ学園、通信制課程)
大 学:進学していない可能性が高い。
中学校卒業後、プロ転向して活躍しています。
高校は、テニス競技への専念のため通信制を選択しています。
2015年 9歳で骨肉腫を発症、車いす生活となる。
2016年 10歳で車いすテニスを始める。
2020年 世界ジュニアマスターズ優勝
2021年 世界Jr.ランキング1位を日本人男子初かつ最年少で獲得。
2022年 15歳でプロ宣言
2023年 全仏オープンで優勝し、グランドスラムを初制覇
2023年 史上最年少で世界ランキング1位
2024年 パリパラリンピック 男子シングルス金メダル・男子ダブルス銀メダル(パートナー三木選手)
世界最年少でプロ転向し、様々な国際大会で最年少記録を多数樹立。
コート外でもリーダーシップとスポーツマンシップを体現し、国内外から高く評価されています。
車いすテニスの普及活動や啓発、後進育成も熱心に行っています。
●「ITF車いすテニスジュニアオブザイヤー2021」日本人初受賞
●日本パラスポーツ大賞(2023)
●Forbes 30 UNDER 30 JAPAN 2023(エンタメ&スポーツ部門)
小田凱人(ときと)が生涯グランドスラム達成
小田凱人さんの最近の主な戦績をまとめました。
年 | 主な大会 | 成績(シングルス) |
---|---|---|
2023 | 全仏/ウィンブルドン/杭州アジアパラ | 優勝 |
2024 | 全豪/全仏 | 優勝 |
2024 | パリパラリンピック | 金メダル |
2025 | 全仏/ウィンブルドン/飯塚国際 | 優勝 |
2025 | 全米(グランドスラム達成) | 優勝 |
日本テニス界のレジェンド国枝慎吾さんに憧れて車いすテニスを本格的に始めた小田凱人さんは、国枝慎吾さんに続き、車いす男子シングルスで生涯ゴールデンスラムを史上初めて10代の若さで達成したアスリートとなりました。
初めて四大大会に優勝したのは2023年全仏で、17歳のとき。
「これから何回、四大大会やパラリンピックに優勝できるか。ビッグな選手になりたい。」とはなしていましたが、その言葉通り、四大大会初優勝から、わずか2年で歴史に名を刻むことになりました。
四大大会とは全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン選手権、全米オープンの四つの大会を指します。
引用:車いすテニスプレーヤー、小田凱人選手の挑戦。病気も障害も強みに変えて – SDGs | SPUR
サッカー選手の夢を断たれた当時10歳の小田凱人さんに希望を与えたのは、車いすテニスのトッププレーヤーで2023年に現役を引退した、国枝慎吾さんでした。
病院のベッドの上で、ロンドン・パラリンピックの決勝を戦う国枝さんの気迫に釘付けになり、9ヵ月もの入院生活の中で、国枝さんの存在が光となったそう。
車いすテニスを早く始めたい一心で、懸命にリハビリに取り組み、退院後すぐにラケットを振り始めたそうです。
しかし、その後2度にわたり、がんの肺転移が発覚。
不安と恐怖に襲われながらも、「国枝さんのように、車いすテニスで世界一になりたい。」という強い気持ちは消えなかったそうです。
がん再発から見事復帰を果たし、2022年の楽天ジャパンオープンでは、ずっと目標にしていた国枝選手と同じコートに立ち、激戦を繰り広げるまでに躍進しました。
国枝さんが現役引退を発表された直後に、ご本人から電話をいただきました。『これから車いすテニスを引っ張っていって』とおっしゃったことが、今も深く心に響いています。託されたバトンを引き継ぐことが、僕の責任でもあると思っています」
まとめ
この記事で小田凱人さんについてわかることをまとめました。
●小田凱人(ときと)を襲った病気は骨の悪性腫瘍である骨肉腫。
その後二度にわたり、がんが肺に転移。
●小田凱人は愛知県一宮市出身で、2006年5月8日生まれの19歳(2025年時点)。
●小田凱人(ときと)は、父親・母親・姉・本人・弟の5人家族。
●小田凱人(ときと)はN高等学校(角川ドワンゴ学園、通信制課程)卒業。
●2025年9月に生涯ゴールデンスラムを史上最年少で達成。